「ひたちなか市報」に「然々」がデッカク掲載! [好奇心・謎解き]
先日、然々のオーナーに
「今回の市報にウチの店が載ってますよ!
ご覧になりましたか?」と言われて
あれ〜見るには見たけど気が付かなかったなあ?
後日、改めて市報(5/10付)を手にとってみたら
あらら〜?1面の全面にわたって
一眼レフを手に微笑む若い女性の姿が大写し!
「ひたちなか市いいとこ発見隊2期生」の
「#みー」さんだそうな。
言われてみればここは、美しい緑の景色が
全面ガラス窓越しに見える「然々」の特等席でした。
わぉ〜オーナーに言われるまで気が付かなかった。
そして最下段には
「撮影協力/ライブラリーカフェ然々」と紹介され
2面にも関連記事が載ってるそうな。
次のページを開いて見るとこんな記事が!
もしかしてこの三角テーブルのある部屋は
我々が然々教室として利用している
YANEURABEYA(屋根裏部屋)では?!
「いいとこ発信隊3期生大募集」の一環として
インタビュー記事を盛り上げる魅力ある場所に
我らが「然々」が選ばれたとは
まるで自分の事のように嬉しいです。( ◠‿◠ )
常陸うつろ舟奇談の謎 [好奇心・謎解き]
水戸市備前町の常陽資料館で開催中の
とても不思議な企画展を見てきました。
江戸時代後期(1803年)、常陸国の海岸に
円盤型の金属船が漂着。船内には奇妙な文字が
書かれ、中には箱を持った異国人のような
金髪美女が一人乗っていた・・・・?
まるでUFO遭遇談のようなこの事件
本県ゆかりの江戸時代のミステリー
「常陸国うつろ舟奇談」が近年、国内は元より
世界中のUFOファンからも注目されており
今回地元での初の企画展開催となったようです。
会場には国内で発見された文書類や
うつろ舟と金髪美女をモチーフにした
大小の創作作品が展示されておりましたが
ほとんどが撮影禁止。(*☻-☻*)
新聞の切り抜きや関連書籍類のみ撮影OKで
私の愛読書「ムー」もランクイン〜!?
撮影禁止ばかりじゃ〜ブログ記事になりませぬ。
でも心配ご無用!発行されたばかりの「常陽芸文」には
撮影禁止の文書類がこれでもかとばかり
詳しい解説と共にバッチリ載っていたので
即、330円で購入しちゃいました。^_^
美女が大切そうに持っている四角い箱は
もしかして宇宙船と交信するスマホみたいな?
奇妙な文字は古代語、それとも宇宙語?
などと空想するだけでも楽しくなります。
何を隠そう、実は今を遡ること7年前の2016年に
開催されたアートの祭典「県北芸術祭」では
日立市川尻町小貝ケ浜に写真のような
「虚舟ミニミュージアム」が設置されていたので
不思議大好きな私はしっかり見ていたのです!
企画したのは何と〜外国人でした〜!!
よほど日本の奇談に刺激されたのでしょうか?
うつろ舟から連想して作られたUFO状の金属船も?
外国人には謎の金髪美人よりUFOの方が関心が高そう!
私がお世話になった茨城新聞/三次記者が
執念で取材した記事の切り抜きも。
ところでこの建物のある”小貝が浜”は
かつては”蚕飼が浜”という地名でした。
何故かと言えば〜すぐ近くに蚕飼神社があるから?!
しかも同神社にはこの記事と全く同じ「金色姫伝説」が
伝わっているんです。何とも不思議ですよね。
窓枠には様々な UFO状うつろ舟の模型が
ずらり〜並んでおり、まさしく不思議ワールド!
江戸時代後期、常陸国鹿島灘の海岸に漂着した
UFO型の金属船と奇妙な文字と金髪美女!?
果たして作り話なのか?それとも真実なのか?
不思議大好き人間の私にとっては
これからも目が離せません。
市報に載ってたよ〜!? [好奇心・謎解き]
届いたばかりの市報(10/25付)の一面には
先日体験乗船した海上保安庁の
巡視船「あかぎ」が堂々と載っており
さらに次ページ「みなと産業祭」の紙面には
我々が見てきたアンコウの吊るし切りや
堀川幼稚園児による和太鼓演奏も。
そうしたら真剣に眺めていたチャコさんが
「これって私たちじゃないの?」と!
赤丸の辺りがそうらしいのですが・・?
拡大して見てみたら、ありゃ〜ホントだ!
大きなスピーカーの下から
マスクで顔のよく見えない私の姿が。
その左側にはチャコさんの姿もしっかりと。
隣が相方だったから良かったものの
これが別の女性だったら・・・?
執事じゃなくてヒツジだよ [好奇心・謎解き]
ある日のこと可愛いヒツジの親子が
SONO家にやってきました。
あれれ〜君たちどこから来たの??
ボクはSONO家の救助犬だけど・・。
こんにちは、これからSONO家に
お世話になる木彫りヒツジの親子です。
よろしくね。(深々とおじぎ)
恥ずかしいからスマホで撮らないで。
でもせっかくの機会だから
こんな芸当を披露しちゃおうかな。
ということで
絵のモチーフになるかと思って
ヒツジ親子を我が家に連れてきました。
SONOうち皆さんのお絵描きの作品に
登場するかも?よろしくね。(^-^)
ドライブ・マイ・カー [好奇心・謎解き]
今シーズンは稀にみる寒い冬!!
でも近頃やっと暖かくなってきたので
寒がり屋で半病人の私には大助かり。
昨日、コロナワクチン3回目の接種券が
届いたので、今朝相方と相談して
ネットからスムーズに予約出来ました。
村上春樹の短編小説「女のいない男たち」が
人気ナンバー2として
書店に並んでいたので即ゲット!
本の中の「ドライブ・マイ・カー」と
いう章が映画化され
海外で高く評価された事で、古い文庫本が
脚光を浴びて売れまくっているそうな。
でも短編小説の中のさらに短い章だけで
約3時間もの長編映画が作れるとは?!
実は他の章からも良いとこ取りしてるそうで
なおさらこの本の価値があるのかも。
トイレが心配な高齢者の皆さんは
長編映画を観る代わりに
おうちで気ままに文庫本を読みましょうね。
という事で我がバカップルも
映画のタイトルにあやかり、愛車・ALTOで
ドライブ・マイ・カーごっこをすることに。
まずはアート仲間で医療関係者でもある
I女史から勧められた漢方薬「ササヘルス」を
求めて、ネット検索で見つけたK薬局へ。
そこは那珂湊駅前の幹線道路から
一本入ったレトロな通りにありましたが
こんな所に漢方薬専門店があったとは?
クマ笹から抽出したエキスが
私のような”酸っぱマン現象”の患者には
効果があるかもしれないとの事で
この先どうなるのか楽しみ。
まだ11時過ぎでしたが朝飯前だったので
お魚市場内の「やまさ」さんに立ち寄ると
平日とあって、大人気の店もがら空き!
港の見える窓際の特等席で
白い漁船が港を出入りしたり
カモメが優雅に飛ぶ姿をぼんやり眺めながら
気ままな観光客気分を味わいました。
さらに海岸通りを潮風ドライブして
着いた先は、敬愛する病気平癒の神
スクナヒコ様が鎮座する酒列磯前神社!
実はヤブツバキが見たくて来てみたのですが
参道の外側にびっしりと咲いているでは!
どなたの気遣いなのか、参道の石畳にも
ツバキの花びらが点々と・・。
目の前では若い女性が
長い長い祈りを捧げておりましたが
何か深い理由でもあったのかな?
ふと見るとこんな看板が?
参道入口にあった巨大な石燈籠を再建する
ための義援金募集の告知でした。
石碑に名前を刻んでくれるそうで
「私たちも募金に協力しようよ」〜と
一口1万円にチャコ様も大乗り気でした。
さらにこの絵が見たくて阿字ヶ浦海岸へ。
これぞ阿字ヶ浦の誇る非日常的風景!
何もない海岸の広い駐車場には
大学を卒業したばかりのような
男子数人がたむろしており
まるで「女のいない男たち」そのもの?
最近はコロナ禍と体調の心配もあって
殆ど遠出しなくなってしまいました。
でも普段見慣れた光景がふとした弾みで
非日常的に見えることもありますよね。
【追 加】
翌日、再び酒列磯崎神社を訪れ
石燈籠再建費用の寄付をしてきました。
社寺に寄付をするなんて生涯初の経験!
後日、石碑に名前が刻まれたなら
自遊人・SONOが生きた証になることでしよう。
和製バンクシーの仕業?? [好奇心・謎解き]
午後からギャラリーに行く前に
海浜公園でウォーキングとばかり開園前に
南口駐車場へ入ろうとしたら既に満車!?
特に珍しい花が咲いてるわけでもないのに
入口には長蛇の行列ができていました?
私の見たかったのはメタセコイヤの紅葉。
うまい具合に色付き始めており
並木道を歩くとまるで外国に来たみたい?
まだ早いので、海浜公園を出てから
阿字ヶ浦海岸に向かってみると
季節柄人影はまばらでしたが・・・
オシャレな公衆トイレの外壁が異様な感じに?
以前ニュースで見たのがこれだったんだ!
buchiさんからも情報入ってたけど。
ウルトラマリンブルーの下地に白の塗料で
鳥や魚、英文字などが手慣れたタッチで
びっしりと描かれておりました。
離れてみるとこんな感じ。
もしかして”和製バンクシー”の仕業?
道路上の別な建物もアートな感じに。
さらには海岸近くのこちらの建物にも。
近くにはグランピングやドッグランなどの
新しい施設も出来ちゃって
見慣れた阿字ヶ浦の原景色が
まるで様変わり?
「ア〜ト驚く為五郎!」な〜んて
博物館級の古過ぎるギャグがよぎったりして。
海水浴客が激減してるので新たに
通年型リゾートに変身中なのかなあ?
まるで白昼夢を見たような気分でした。
古墳と思いきや軍事施設とは!? [好奇心・謎解き]
「十五郎穴横穴墓群」の横穴墓は
一番西側のこの辺りから始まるので
物好きにも崖に沿って観察してみました。
そうしたら鬱蒼とした木立の間に
岩穴らしきものを発見!?
崖をよじ登って近ずいてみると
それは四角く掘られた穴で
横穴墓の開口部とは異なるようです。
十五郎穴横穴墓群全体図によれば
横穴墓は大きく三ヶ所に別れて分布しており
私が見つけた穴は、一番西側の「館野支群」
から外れた、手書き矢印付近と考えられます。
なのでこの付近には横穴墓は存在しないはず。
横穴墓でないとすれば、もしかして防空壕?
思い切って入ってみると、ビックリ!!
固い岩盤にノミ跡も生々しい長い坑道でした。
穴の断面形状はカマボコ型で
横幅1.5〜2m位、高さは1〜1.2m程度で
頭を低くすれば歩行できる広さ。
しかも、床面には大きな靴跡が残っており
私の前に誰かが入った形跡が。(怖)
途中、明り取りの目的なのか、左手には
3ヶ所の窓穴?があり、奥に進むにつれて
床面は冠水しており、靴は泥だらけに。
暗い坑道の中では、スマホのLEDライトが
大変役に立ちました。
窓穴からは外の光が差し込んできます。
さらには2番目の窓穴からも。
最後の穴は、何故か潰れた半円状で
通り抜けが出来ません。
もっと先まで坑道は続くのですが
うす気味が悪いので引き返すことに。
入り口を振り返ってみるとこんな感じ。
まるで黄泉の国から帰還したみたい?
外へ出て、窓穴の位置を確認してみました。
1番目の窓穴は四角形です。
2番目の窓穴は円形。
3番目の窓穴は開口部が狭まっており
出入りは困難でした。
こんな大掛かりな坑道を
一体誰がなんのために作り上げたの?
しかも危険防止のための立ち入り禁止も
なく、自由に出入りできるなんて。
思いがけない体験をした後は気を取り直して
横穴墓の分布する崖面を巡って見る事に。
崖面ギリギリにある途中の民家では
墓穴付きの庭石?を間近かに見ることが。
近ずいてみると典型的な横穴墓でした。
最後は道なき道を
途中、湿地のような田んぼを歩いたり
トゲトゲの枯葉の生い茂る崖をよじ登ったりと
かなりハードな行程となり、やっとの事で
遺跡公園となっている「館出支群」へ到着。
アドベンチャーはこれで終わったのですが
先の坑道が気になって、帰宅してから
埋蔵文化財センターが発行している
「埋文だより」を斜め読みしていたら
No.32号(2010春)にすごい記事を発見!
おまけに、掲載されている写真は二枚とも
私が見たのと同じなのでびっくり!
読んでみたら〜なんと
太平洋戦争末期(昭和20年)に日本陸軍が
本土決戦用に構築した陣地だというでは?!
あの窓穴は道を行く米軍の車両側面を
火砲で射撃するための開口部だった?!
ひえ〜謎が解けました!!
単なる防空壕じゃなかったんだ。
上の記事にあるのは
埋蔵文化財センター直下の斜面に開口する
坑道なので、こちらとは別の施設ですが
同じく「本土決戦用陣地」であることがわかり
モヤモヤが晴れました。
正月明け早々、インディージョーンズ並みの?
貴重な体験ができて大満足でした。
それにしてもご近所には、まだまだ知られざる
謎スポットが残っているんですねえ。
撮り鉄気分?? [好奇心・謎解き]
新年2日目の昨日は、湊線の無人駅・中根駅まで
ウオーキングしました。
埋蔵文化財センターの駐車場に車を置いて
そこから田園地帯を徒歩で行くことに。
中根駅は鉄道ファンから大人気の駅で
「撮り鉄」たちが全国各地からやってくるほど。
さほど変哲もない無人駅ですが
どこか哀愁が漂って見えるのかも。
流石にこの日の撮り鉄は男性2人だけでした。
湊線の駅名看板は大変ユニークです。
駅近くの名所、旧跡、名産物を取り入れて
デザインされており、中根駅では前方後円墳の
虎塚古墳と、十五郎穴から見つかった立派な
鉄剣が採用されて、こんな絵文字に。
小さな駅舎の壁には、中根駅を支援する
ボランティア達の活動の様子を
撮った写真などが飾ってありました。
実は私もこの駅に魅せられて、以前スケッチ
したことが。でも、年末のサザ展に出品したら
幸か不幸か?売れてしまい
それ以来、現地でスケッチした思い入れある
作品は売らないことにしています。
そうこうしている間に
13時27分着の阿字ヶ浦行きが到着!
初詣客なのか〜結構乗っておりました。
せっかくここまで来たので、線路を越えて
長い坂を登り、三反田地区にある
佐七山・福道寺を初参拝。
今から300年前に創建された日蓮宗の寺院だ
そうですが、近年改修したらしく真新しく
整えられており、ちょっぴり残念な気も。
本堂では僧侶がお経を唱えておりました。
初めて来たけどこんな風になっていたんだね。
元の道に戻ると、目の前には十五郎穴遺跡や
虎塚古墳、笠谷古墳群など著名な遺跡のある
小高い丘と、高速道路とのコントラストが!
これだけの遺跡を目の前にしては
自称・考古学マニアの私は
立ち寄らないわけには行きませぬ。
そんなわけで続きをお楽しみに!
那珂湊への直線道路が開通! [好奇心・謎解き]
届いたばかりの市報にこんな記事がありました!
とても嬉しい”新しい道路の開通”です。
これまで我が家から旧那珂湊市街地へ行くには
狭くて曲がりくねった旧道を注意深く
走らなければなりませんでした。
ところが長年続いていた
船窪土地改良事業がほぼ完了した結果
南神敷台の住宅街を通り抜ける幹線道路と
繋がり、簡単に行けるようになったので
早速利用してきました。
この付近一帯は古墳群を有する「船窪遺跡」。
起伏があり利用価値の低い荒地を
住宅地に造成する工事が
長い歳月をかけて行われてきました。
結果、目の前に大海原の見える素晴らしい
直線道路が完成したのです。
しかも行き着く先が那珂湊漁港とは!!
途中には海浜鉄道・湊線の踏切も!
ここは那珂湊駅と殿山駅の中間地点ですが
つい見逃してしまいそう。(汗)
その先の左側の急崖には高い防護壁が
設けられており、初詣のノボリ旗も?
振り返ってみるとこんな景色です。
ここは旧那珂湊地区で最も格式の高い
「橿原(かしはら)神宮」。
鳥居をくぐって真新しい石段を登っていくと
鬱蒼とした杉木立ちに囲まれた境内は
貝塚を伴う「富士の上遺跡」となっており
立派な社殿が鎮座しておりました。
幼少期に参拝したことのある神社には
親近感があり、うん十年ぶりの参拝に。
でも、神社ではなく「神宮」となって
いるのは何故?
実は御祭神が、恐れ多くも
神武天皇・桓武天皇・崇道天皇なので
格式が高いのかなあ?
一段と高い境内からは那珂湊の街並みと
太平洋が一望にできました。
感激のあまり、明日の初詣を待たずに
お札と破魔矢を頂戴し
一年の良い締めくくりとなりました。
これにて令和2年のブログ記事は
打止めとさせて頂きます。(^-^)
コロナ禍中の辛い一年ではありましたが
ご愛読ありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎え下さい。
もう一つの天妃神社? [好奇心・謎解き]
気になって、那珂川河口の大洗町祝町に
鎮座する天妃神社へ出掛けてみました。
海門橋の大洗側ポケットパークに車を止めて
石段を降りていくと、そこは「大洗水辺プラザ」
となっており、マップの中央(5)の位置に
天妃神社(弟橘比売神社)と表示されています。
こちらでは「天妃神社」の方が一般的?
小高い山の入り口に、石鳥居と神社名の石碑が
建ち、長い上りの石段が続いています。
正式な神社名は「弟橘比賣神社」でした。
石段を登り切ると奥の方に社殿が見えます。
拝殿の扁額にも「弟橘比賣神社」の名前が。
覆屋の中に、小ぶりな本殿がありましたが
いったい何が納められているんでしょうね?
弟橘比売を模った木彫りの神像とか?
玉垣の裏手には、唯一の境内社(稲荷社)が。
石碑によれば
由来はほぼ磯原町の天妃山と同じで
どうやら明の高僧・心越禅師は2体の天妃神像
を携えてきて、光圀公はこれらを磯原と大洗の
何も河口付近の海上安全上重要な地に
「天妃神社」と命名して建立したものです。
ところが後年、国粋主義者・斉昭公は
神国・日本に外国の神を祀るのはけしからんと
二体の天妃神像を引き揚げ、さらには
「弟橘姫(比売)神社」と改めさせて・・。
せっかくの光圀公の意図が台無しですよね。
しかしながら、こちらでも同様に地元では
「天妃さん」と親しみを込めて敬っている
ことがわかりホッとしました。
その後も気になってググってみたところ
中国から伝来した「天妃」は本場では
「媽祖(まそ)」と呼ばれ、航海・漁業の守護神
として、中国沿岸を中心に信仰を集める
道教の女神と分かりました。
日本では、日本武尊が東征の際に暴風雨に遭い
その時、妃の弟橘比売が海中に身を投じて
海神の怒りを鎮め、事なきを得たという
故事から、天妃=弟橘比売(比賣・媛)信仰と
混淆しつつ広まったようです。
そうだったんだ。これにて一件落着!!
【蛇 足】
天妃=女神繋がりという事でついでに。
実は私も「女神の舞」というF100号の
油彩画大作を描いており、8月に開催の
「ノン・ブラック選抜9人展」に出品しました。
これが然々オーナーの目に止まり
今週のリニューアル工事に合わせて
お店のエントランスに寄贈・展示される事に
なりました。お楽しみに!